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まるげりスイッチが教育のことについて書きます

#24 結果と考察は何が違うの?

「鳴川調査官の話を聞いて」シリーズ第3弾です。

前回はこちら

 

marugeriswitch.hatenablog.com

 

 

【結果と考察って何が違うの?】

実験が終わった後に、結果をまとめたり、考察を書いたりしますが、この結果と考察の違いについて、鳴川先生が話してくださいました。

 

結果というのは、「事実のみ」を書き、

考察は、「事実(方法+結果)と解釈」を書きます。

 

しかしながら、様々な授業を参観すると、考察を書く場面なのに、「事実のみを書いている人」や「感想を書いている人」が多く見られると言われていました。

 

また、簡略化して「解釈のみ」を書く授業も多いですが、できれば「事実(方法+結果)と解釈」を書くようにしてほしいと言われておりました。

 

結果と考察、感想の違いを、電磁石の性質を例に挙げると、このような感じになりますね。

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これまで私は、筑波の佐々木先生の「結果と考察の違いを区別する工夫」(アイマークとハートマーク)を参考にして下の図のようなルーブリックを作り、考察を書く場面で使用していました。

 

佐々木昭弘の理科授業 これだけは身につけたい指導の技45

佐々木昭弘の理科授業 これだけは身につけたい指導の技45

 

 

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この、アイマーク(目のマーク)、♡マークを取り入れたルーブリックを使うことで、結果と考察の違いを意識して、書くことができるようにしてきました。

 

また、態度面の評価ができるように、指導要領P18の、「学んだことを自然の事物・現象や日常生活に当てはめてみようとする態度」に関わる内容を記述出来ていたら「Sレベル」ということにしていたのですが、

 

 

今回の鳴川先生の話を聞きながら、次のようにしようと思いました。

 

〇考察はもっとシンプルに。A基準まで。

 →ただでさえ、書く分量が多いのに、Sレベルを狙おうとすると、書くだけでかなりの時間を費やすことになる。(書くことが苦手な子はSまでなかなかたどり着かない)

考察は、「事実+解釈」が書けていれば◎

 

〇態度面の評価は、考察ではなくてふりかえり(感想?)で

 →これまでSレベルで求めていたものは、考察とは別に「ふりかえり」を書かせて、見取ってみる。(ふりかえりを書く時間を確保できるかが謎ですが…笑)

その際、これまでSレベルで掲げていた、「既習のことや日常生活へのつながり」と「新たな疑問」に加え、「自分の予想と結果の比較」や「学習のどの場面で自分の考えが変容したか」というメタ認知を鍛える(?)ような内容も入れ込んでみようと思いました。

 

 

こんなシートで試してみようと思います。

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しっかり考察が書けるようにして、次の学年へと上げてあげたいと思います。

 

次回は、「資質能力」、「理科の見方考え方」あたりをまとめます!

#23 予想と仮説って何が違うの?

 鳴川調査官の話を聞いてシリーズ第2弾です

 前回の記事は

 

marugeriswitch.hatenablog.com

 

 

【予想と仮説って何が違うの?】

理科の指導要領の中に、

「予想や仮説」

という言葉が出てきます。似たような言葉ですが、この2つ、何が違うのでしょうか?

 

 

 

「仮説」という言葉は、次の3つの条件を満たすもののことを言うそうです。

・何かを説明していること

・根拠があること

・検証可能であること

 

これに対して、「予想」は、当てずっぽうも認める、とのことです。

 

(まぁ、鳴川先生は、「このことはどこにも書いていないので、厳密に分けて使う必要はないです」と言われていましたが)

 

 

 

「予想(根拠なし)」と「仮説」を具体的な例で比べると、こんな感じになるのかな?

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ちなみに、指導要領P17に次のような文が載っているのですが

 

根拠のある予想や仮説を発想するといった問題解決の力の育成を目指している

 

ここでの「根拠のある」という言葉は、「予想」を修飾しているとのこと。

 

なので、「根拠のある予想」や「仮説」を発想する、という意味になりますね。

 

 

 

 

話を聞きながら、まず感じたのは、「予想」は「あてずっぽうを認める」というのが温かいなぁと感じました。どれだけ考えてもわからないときはやっぱり直感に頼りますよね。(私はそういうタイプなので…)それを認めてくれるのは嬉しいなぁと思います。

 

そして、あてずっぽうを認めるけれど、やっぱり「根拠のある予想」や「仮説」が立てられる子を育てたいですね。

 

 

 

「根拠のない予想」→「根拠のある予想」→「仮説」へと練り上げていくために何が必要なのか?

(…まだ、何も思いついてませんが   笑)

 

 

それを考えるヒントが仮説の3つの条件の中にあるように思いました。

 

特に、「検証可能か?」を考えることは、実証性に関わるところでもあるので大事な視点だと思います。

 

 

 

 

次回は、「考察」についてまとめます。

#22 2019年をふりかえって

今年がどんな一年だったか、ざっくりふりかえってみます。

 


【4度目の卒業生を送り出した】
今年の3月に送り出した卒業生は、『学び合い』も学級経営もいい感じにいった子達でした。
毎日腹抱えて笑った日々でした。

 


【4月から、初の学年主任へ】
学年主任の忙しさと責任に驚いた1年でした。
そして、今まで一緒に組ませていただいた学年主任の皆様のすばらしさを感じることができました。


・見通しを持つこと
・効率よく運用できるように考えること
・仕事をふること
・自信を持つこと

 

まだまだ全然できてないですが、4月の頃と比べると少しマシになってきてるかなー?


学年の中で一番年下&ペーペーな自分についてきてくださる学年の先生方に感謝をした1年でした。

 


【色々始めたり、買ったり、再開したりした一年だった】
・ブログ始めた
→来年はもっと更新するぞ。

 

電子書籍でも本読み始めた
Kindle手に入って嬉しい。もっと読書時間捻出したい。


スマホiPhoneからAndroidに変えた
→自分の使い方なら、全然ハイスペックじゃなくてもいいことに気づいた。端末代もお得♪


・ピアノをたまに弾きだした。
→ゆっくりトルコ行進曲(モーツァルト)弾けるようになった。来年も弾くぞ。

 


【もやもやした1年】
増え続ける業務、研修のあり方、日本の教育のこれから、なにも変わっていない教育の現状、今の自分、未来の自分。


色々なことにモヤモヤした1年でした。

 

 

 

 


とりあえず、今年始めた「自分探し」を続けて、本当にやりたいことをやって生きていこうと思った2019年でした。


来年は大きく飛躍する1年にしたい!!2020頑張るぞ!!

#21 理科では、「めあて」?それとも「問題」?

先日、鳴川教科調査官の話を聞く機会がありました。

 

話を聞くのは今回で2回目。

 

具体的な話と抽象的な話を往復して話してくださるので、とてもわかりやすかったです。

 

さて、今回からは、鳴川先生やその他の先生方が話した内容を自分なりにまとめていきたいと思います。(小出し&ショートで)

 

【理科では「めあて」?それとも「問題」?】

他の教科の授業では、よく「めあて」を提示しますよね?

でも、理科の研究授業などを、見に行くと「問題」と表記してあって、「むむ?」と感じたことはありませんか?(私はそういう時期がありました)

今回はそのことについて、鳴川先生が話題に出されました。

 

鳴川先生曰く、

理科の学習は問題解決の力をつけたいので、「問題」と「結論」があることが望ましい。(「問題」は、疑問形で)

 

さらに、その問題は、教師からのトップダウンではなく、子どもの「やってみたい!」が含まれていることが大事、とのこと。

 

 

・・・たしかに、問題解決の力を身に付けようとしているのに、「問題」がなく、「めあて」だけが提示されるのは違和感ありますね。

 

だからといって、「めあてがダメ」とは考えてないそうです。

 

 

 

会に参加していたある先生は

・何を解決するか、というのが「問題」

・それに対しての行動目標が「めあて」

というような位置付けで考えて、問題を解決するための道標的な役割をしている、ということを言われました。

 

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もちろん、この考え方もOKとのことでした。

 

 

また、それぞれの地域ごとに「めあて」や「問題」などの意味合いが違ったりするので、子どもが問題解決の力をつけられるよう工夫されていたらOKだそうです。

 

 

 

 

 

私は、鳴川先生が言われたように、理科は問題解決の力を身につける教科なので、これからも「問題」と「結論」がセットになるように授業を構成していきたいなぁと感じました。

 

(そして、みんな同じ「めあて」で、学習をするということに違和感を感じる今日この頃であります)

 

 

次回は「予想と仮説って何が違うの?」についてまとめます。(予定)

#20 9月の反省

1週間前の話になりますが、9月入って最初の算数テスト「整数」がありました。(公倍数・公約数のところ)

 

・・・結果は散々でした。

 

子どもの学び方はよくなっていると感じているのですが、結果に結びついていない。

活動あって学び無しの状況なのか・・・

 

 

 

 

子どもたちの様子を分析すると

 

◎子どもの同士の関わり方は夏休み前と比べてよくなっている(と思う)

・今まで分からずに、じーっとしていた子は自分から聞きにいけるようになった

・周りに気をかけて、困っている人を見つけて声をかけるのがうまくなった

・仲良しの子とずっと学ぶのではなく、ある程度の流動性が見られる

・1人で問題を解きたいときは、机を離して挑戦する子もいる

・「声の調子が心地よい時間」が増えてきた

 

トップランナーが伸びている

・問題作りをしたり、自分の課題より友達の課題を優先させたり、教え方の工夫をしたりと、状況を判断して行動できるようになってきた

・「こうしたらどうですか?」「どうしたらもっとうまくいきますかね?」というように、クラスの学びに対する意見を言ったり、質問したりするようになってきた

 

◎時間を無駄にしている人が減っている

・夏休み前だったら、自分の課題が達成した人の中に「わからん人~?」とか言って歩き回っている人がいたが、今はほとんどなくなってきた。

 

メタ認知の低さ

・1人で問題を解けるレベルまで達していないのに満足してしまっている。友達と問題が解けたことで、「わかったつもり」の状態になっている。

 

△圧倒的な練習量不足

・計算に時間がかかる。かかりすぎ。

・とにかく数量感覚が身についていない。

 

△忘れる&言葉の整理整頓ができていない

・単元が終わりに近づくと、単元の初めの内容を忘れてしまっている。

・似ている言葉や考え方が出てきたときに、混同している。

 

 

 

 

メタ認知の低さ・圧倒的な練習量不足・忘れの原因は、自分の環境づくりや語りにあるんだろうなー、と反省。

 

 

 

 

これらを踏まえて、今の単元(分数)では・・・

 

〇プリント最後に、4観点のふりかえりをつけて、自分の学びをふりかえる

→自分の学びの状況をふりかえる機会をほとんど与えてなかった反省から、自己を見つめる機会を増やしてみる。まずは短時間で振り返られるように「わからない・友達や先生とわかる・一人でできる・説明できる」の4観点で試してみる。(かしこさの階段を参考にさせていただいています)

http://manabitudukeru.seesaa.net/article/449635834.html

 

〇なんでもかんでも「サイン〇人」をやめた。

→「ただ問題を解く」よりも、「解いて説明する」の方が、効果が高いと感じている。だから、よく考えもせずに、全員一律に「問題解いたら説明してサイン〇人もらう」を求めていた。

 

しかし、子どもの様子を観察していると、その「説明」がその子のためになっている場合と、そうでない場合があることに気がついた。(今さらかい!って感じですが・・・)

 

「1人で問題が解ける状態」になっていない子の説明は、「言わされる説明」をしているだけである。

 

1問問題を解くだけで「1人で問題が解ける状態」になる子もいる。

友達と2問一緒に解いた後に1問自分一人で解くことで「1人で問題が解ける状態」になる子もいる。教室には色々な理解度の子がいる。

 

それなのに、私は「①番の問題をといたら、その解き方を説明してサインを3人にもらう」という課題の出し方をしていたのだ。

 

説明をするタイミングは、「問題を1問解いた後」である必要はない。「友達と2問一緒に解いて、その後1問自分で解いて、1人で解ける状態になってから」でもいい。

 

課題の出し方には気を付けていかなければいけないなと感じました。

 

 

〇1時間の枠を取っ払って、単元内自由進度の学びへ移行

→クラスの学びの雰囲気から、単元内自由進度にしてもできそうだったので、移行しました。この1週間、学び方はいい感じです。

 

・・・あとは結果を出したい。。。

 

 

 

 

 

・・・と、ここまでは授業中の手立て。

 

それプラスで、日常のトレーニングをしていかないと、非常に苦しいと感じています。

 

とにかく計算に時間がかかる。びっくりするぐらいに。

 

そして、そのことに気づいていながらも、今まで手立てが打てていなかったこの半年間。なにやってんだ自分。

 

 

 

残りの半年で、この子達の計算速度を絶対に向上させてみせる!!やったるで!

#19 「この先生の授業見たい!」から始まる授業参観

各学校で教科やテーマを決めて研究授業をしたり、地区で教科研究会を作って「うちの地区はこのテーマで研究やってます」ということをしたりしていますよね?
 
これってやりづらくないですか??
 
研修についての第3回目は「研究発表会のやり方が変わったらいいなー」、という思いを書きます。
 
 
前回の記事(強制参加の研修について)読みたい方は↓↓↓
 
 
「今の研究発表会は、非常に苦しい割に学びが少ないのではないか。」という考えを、各学校で行われる研究発表会を例に、時系列で考えながら書いていきます。
(めっちゃ長文です。)
 
 
 
【研究発表会のテーマが決まるまで】
4月、校務分掌で研究主任が任命されます。
 
研究主任になった人は、短い期間で構想を練らなければなりません。
 
「今求められている力は〇〇で…。本校の児童の実態は△△で…。みなさんが実践しやすいように…。」
 
色々な視点から考えて教科やテーマを決めてくださります。
 
 
自分のクラスがあり、日々の業務もある中で、自分生活の貴重な時間を割いてテーマを作るということは大変なことですよね。研究主任の先生方は本当に大変だと思います。
 
 
全国の研究主任のみなさま、大変なお仕事を引き受けてくださってありがとうございます。とっても尊敬しています!
 
 
この、研究主任の先生の頑張りにより、研究のテーマが決まります。
 
 
【授業者が決まるまで】
研究する教科とテーマが決まり、提案授業等が行われたのちに、授業者が決められます。
 
しかし、学校にいる先生方は、それぞれ得意な教科はバラバラで、得意な授業の組み立て方もバラバラ。いろんなよさを持っている先生方が集まっています。
 

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そんな中、
「うちの学校は国語の研究をします!対話を多く取り入れた学習について検証します!」
 
というように研究の方向性が決められるわけです。
 
 
おそらく、ほとんどの先生が「その教科の研究苦手だな。」とか「対話を多く取り入れるってやりづらいなぁ。」というように感じると思います。
つまり、テーマが自分の得意教科&得意分野で嬉しい人はごくごく一部の人になるのです。
 

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授業者の中に「テーマにやりづらさを感じている人」が何人も選ばれることは、授業の質のが少なからず低下すると思うんです。ということは、参観者からしたら、「質の低い授業を見る可能性が上がる」ということにつながります。
 
 
もちろん、これはシステムの問題で、決して研究主任の先生が悪いわけではありませんよね。
 
 
 
 
【指導案作成 授業ができるまで】
さて、研究発表会が行われることになったら、たくさんの人が見に来ます。そうなると、計画段階に多くの時間を費やすことになります。
 
具体例を挙げると、
・体裁の整った指導案作成
・普段の授業よりも準備、手立て多めの授業
・念入りな発問計画
・何度も指導案審議を行い、何度も指導案を書き直す
などです。
 
2学期以降の発表会であれば、夏休みに指導案を作成すると思うんですが、夏の仕事の半分ぐらいの労力を費やしてしまうのではないでしょうか?
 
 
 
また、授業を作るときに
「本当は自分の得意なスタイルで組み立てたいけど、研究テーマとずれてしまうから…」
 
とか
 
「指導案審議では、得意分野の違う様々な先生方からのアドバイスをもらう…」
 
ということが行われることで、誰の授業がわからないものになりませんか?
 

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【研究発表会当日まで】
開催する学校が大変なのは、授業だけではありません。
紀要の作成だったり、環境整備だったり、それはそれは大掛かりですよね。授業を参観してもらうだけなのに、それ以外のことでも仕事量が莫大に増えます。
 
 
と、このように大変な苦労の上にできあがった研究発表会。
果たして、研究発表会を見に来た参観者の方は、大きな学びを得ることができるのでしょうか?
 
 
 
【当日の参観者】
「今日の研究発表会は、この先生の授業を見にきた!」という人にとっては、大きな学びを得ることができる研究発表会になると思うんです。
 
でも、多くの参観者はそうじゃないと思います。「年に1回行けと言われているから来た」とか、自分の興味のある教科だから来た」とかそれぐらいの熱量で来ると思うんです。
 
 
そういう参観者の授業の選び方は、
△ 授業者のこと何も知らない状態で授業を選ばなければならない。
△ 参観する授業を選ぶ基準は指導案だが、その場でもらう指導案を授業が始まるまでの短い時間にちゃんと見きれない。
△ その結果、「とりあえず、今の担当学年の授業を見に行く」という選び方になる。
 
このような選び方をする方が多いのではないでしょうか?
 
 
 
 
そして、授業を参観すると、
△ 授業が上手な先生を見たいのに、「とりあえず若手にさせました。」という授業や「テーマに苦手意識をもつ先生が、無理やりテーマに合うような授業作りました」という授業に当たることがある。そうすると、「上手な授業から新たなことを学びたい」ということではなく、「この授業をどう改善したらいいかな?」という視点からの参観になり、目的とは違う見方になってしまう。(そういう授業からの学びももちろんあるとは思うのですが。。。)
△ 「〇〇先生の授業を参観したらよかったのに。面白かったよ!」と後から聞いて後悔する。
△ たまに、「これ校内でちゃんと授業検討したのかなー」という授業に当たることがある。
 
というように、授業者の先生のことを知らないまま参観をして、思うように学べないことがありますよね。
 
つまり、「この先生の授業を見たい!」という選び方ではない授業参観から学ぶことができるかどうかは、ある意味「運」だのみということになります。
 
 
貴重な時間を使って見学に行く研究授業で、学べるかどうかが「運」というのは、効果的ではないですよね?
 
 
 
 
【研究授業後】
研究発表会を開催した後は、「お疲れ様でしたー!」で終わってしまい、授業者が回すPDCAサイクルは1回でおしまい、となることが多いと思います。
 
その学校が2年、3年と同じテーマで実践を続ければ、学校としてはPDCAサイクルを2回3回と回すことができるのかもしれませんが、それでもサイクル回るのが少なすぎますよね。
 
これって実践者側の学び、少なくないですか??
 
 
 
一生懸命、時間をかけて作り上げてきた研究授業。
 
それなのに、「実践者側」も「参観者側」も効果的に学びを得ることができないのであれば、それを続ける意味はあるのでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
私がここ5年間で「この授業見てよかったー!」と思った授業を振り返ると、「この人の授業見たい!」という思いから始まるものばかりでした。
 
 
行かされる研究授業よりも、「この人の授業を見たい!」から始まる授業参観の方が学びが得られると思います。
(この思考は「一般化のワナ」かもしれませんが…笑)
 
 
 
そこで、こんなシステムどうでしょう?
 
【自分の見たい人の授業を自由に見に行けるシステム】
 
①各学校で毎年当たり前のように行われている研究授業や毎年持ち回りで行われている研究発表会などの、「やらされてる感満載の研究」は全て中止にしちゃう
その学校の職員全員が「この研究やりたい!」と心の底から思っているものであればよい)
 
②「いいね」がつけられる簡易的なSNSを普及させ、見たい人の授業を自由に見に行けるようにする。(授業者と参観者が連絡を取り合って、お互いがOKならば授業を見に行けるシステム)
 
③授業を参観したら、その授業者へ「いいね!」を押せる(…内容次第では押せないかもしれない 笑)
 
④いいねが増えたら、「この人の授業は上手なんだ!」というのが一目でわかるようになり、他の先生もその人の授業を見に行きたくなる。
 
⑤公開した授業数やいいねの数が、ボーナスに+αの形で反映される!授業が上手な人は、お小遣いゲット♪
 
 
 
いかがでしょう?
(「いいね!」が付けられるSNSを普及させるというのは、ちょっと自分でも「微妙・・・」だと思っていますが。)
 
 
授業を自由に見に行けるようになれば、「この人の授業見たい!」から始まる授業参観が可能になるし、
 
もし、「誰の授業を見たら勉強になるのかがわからない・・・」という人(特に初任者の方や他地区から移動して来られた方など)であれば、「いいね!」の数が多い先生の授業を見に行けば勉強になる可能性が高くなりますよね。
 
 
 
ちなみに、自由に授業を見に行くっていうのは、これぐらいのイメージです↓↓↓
 
「今度授業見に行ってもよろしいですか?」
「いいけど、特別なこと何もしないよ!しかも、体育の後で子ども疲れてるかもしれないけどいい?」
 
このように、本当の普段の授業を見に行くようなイメージです。(もちろん放課後に授業の意図とか聞いたりする時間が取れるのが望ましいですよね)
 
 

 

 

【まとめ】

みんなが同じテーマで研究を行う、今の研究授業・研究発表会のシステムって本当に苦しいと思うんですよね。その割には得られる学びが多くないというか。。。

 

 

 

〇 普段の授業を、自由に見に行ける。

 

〇 「この先生の授業を見たい!」から始まる授業参観ができる。

 

そんな研修のあり方に変わっていってほしいなと感じる今日この頃です。

 

 

長文、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

#18 いきなり武道館でライブしないよね?

前回に引き続き、研修のあり方について書きます。今回は②全員強制参加の研修についてです。

 

前回の記事↓↓↓

marugeriswitch.hatenablog.com

 

 

 全員強制参加の研修って本当に学びが得られるのでしょうか?

動員がかかる研修って必要なのでしょうか?

 

私の地域では、毎年強制参加の研修や、「うちの学校から10人出さないといけないんだよ」といったような動員がかかる研修があります。おそらくどこの地域でもあるのだと思います。

 

 

この「全員強制参加型の研修」や「動員がかかる研修」って、色々と問題点があると思うんです。

 

 

 

【研修を受ける側に生じる問題点】

△ モチベーションが上がらない → 学びのアンテナが低くなる。
△ 「この時間、本読んでた方が学びが多かったなー」と感じてしまう。
 
 
【研修を開催する側に生じる問題点】
△  大勢の人が来るため、主催者側はどこの層に焦点を当てて内容を考えたら良いのかが難しい。
→ 結果、大部分の人のレベルには合わない内容になることが多い。
 
△ 全員強制参加 → 努力しなくても人が集まるので、「学びの多い研修にしよう!」とか「どうしたら次の研修にも来てもらえるかな?」という気持ちが薄れる。 → 研修の質が低下する。
 
△ 動員がかけられる研修 → 動員がかけられていることを主催者が知らされていなければ、「満員だったなぁ、いい内容だった!」で満足して終わってしまう可能性も。
 
△ 毎年強制的に開かれるので、主催者側にも「やらされている感」がうまれる。
 
 
これって、お互いにデメリットが多いように思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

今行われている「全員強制参加型の研修」って、「無名アーティストが武道館でライブする」っていうぐらい無謀なことだと思います。
 
 
 
アーティストの人は、いきなり武道館でライブしないですよね?
 
地元のライブハウスからはじめて、ファンの方が増えるとともに少し大きな会場でライブができるようになり、「これだけファンの方々いてくれたら武道館も満員になるはず!!」っていう自信をつけて、はじめて武道館に挑戦すると思うんです。
 
研修も、最初は小さく始めて、それを支持する人が増えてから大きな会場で行うようになり、みんなが「この研修受けたい!!」ってなってから全員参加にするのが本来のあるべき姿だと思います。
 
でも、今の強制参加型の研修は、「毎年武道館でライブすることは決まっているけど、ライブするのは無名アーティスト。でも全席うめてね。」というのに付き合わされてるように感じてしまいます。
 
 
 
 
 
 
 
この状況を打破するためには…
◯ 本当に行きたい研修にだけ行けるシステムにする
行きたくない研修に行かせるのではなくて、自分の行きたい研修に行けるようにするべき。行かないという選択肢もあっていいと思います。(自分で本買って勉強したりするのであれば。)
 
そして、人気のない研修は淘汰されていくべき。
 
なんなら、研修は有料にしちゃってもいいと思います。人に新たな知見を与えるって並大抵の努力ではできないことなので、その分、主催者は報酬をもらっていいと思います。(もちろん、もらわなくてもいいのですが)
 
受ける側だって、無料の研修に無理やり行かされるぐらいなら、有料で学びたい研修に行って学んだ方がよっぽどいいですよね?
(強制的にお金を払わされて無理やり行かされる某更新講習は、一番あってはならない研修のあり方だと思います)
 
 
この、本当に行きたい研修にだけ行けるシステムは、苫野先生の言葉で言えば「この指止まれ」方式の研修というそうです。(私の思っている研修のあり方の趣旨と違ったらごめんなさい。。。)ネーミングセンス抜群ですね!
ちなみに、オランダでは、年間13万円ぐらい研究費が先生に支給されて、自分が本当に参加したい研修を選んで学びに行けるそうです。素敵なシステムですよね♪
公教育をイチから考えよう

公教育をイチから考えよう

 
「学校」をつくり直す (河出新書)

「学校」をつくり直す (河出新書)

 

 

 

 
 
 
まあ、そうはいってもすぐには研修の制度は変えられないと思うので、100歩譲って全員強制参加の出張を開催するのであれば。。。
 
◯ 多くの支持者を集めている方が行う研修会にす
全員強制参加で大勢の人が来る研修なら、これまでの研修会等で多くの支持者なりファンなりフォロワーなりを引き連れている方の話を聞きたいです。武道館でライブできるアーティストレベルの話を。
多くのファンがいる方なら、おそらく大勢の人にとっても学びになることがあるだろうし、仮に学びにならなくても、「なぜこの人が多くのファンを獲得しているのか」ということを分析することで新たな学びを得ることができるかもしれませんよね。
 
 
 
・・・全員強制参加の研修のあり方、変わってほしいですね。
 
 
 
(そして、この内容を書きながら、「研修」を「授業」に打ち換えると、自分の授業のあり方もしっかり考えないと子どもたちが不幸になってしまうなぁ・・・と身が引き締まりました。がんばろう。)