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#19 「この先生の授業見たい!」から始まる授業参観

各学校で教科やテーマを決めて研究授業をしたり、地区で教科研究会を作って「うちの地区はこのテーマで研究やってます」ということをしたりしていますよね?
 
これってやりづらくないですか??
 
研修についての第3回目は「研究発表会のやり方が変わったらいいなー」、という思いを書きます。
 
 
前回の記事(強制参加の研修について)読みたい方は↓↓↓
 
 
「今の研究発表会は、非常に苦しい割に学びが少ないのではないか。」という考えを、各学校で行われる研究発表会を例に、時系列で考えながら書いていきます。
(めっちゃ長文です。)
 
 
 
【研究発表会のテーマが決まるまで】
4月、校務分掌で研究主任が任命されます。
 
研究主任になった人は、短い期間で構想を練らなければなりません。
 
「今求められている力は〇〇で…。本校の児童の実態は△△で…。みなさんが実践しやすいように…。」
 
色々な視点から考えて教科やテーマを決めてくださります。
 
 
自分のクラスがあり、日々の業務もある中で、自分生活の貴重な時間を割いてテーマを作るということは大変なことですよね。研究主任の先生方は本当に大変だと思います。
 
 
全国の研究主任のみなさま、大変なお仕事を引き受けてくださってありがとうございます。とっても尊敬しています!
 
 
この、研究主任の先生の頑張りにより、研究のテーマが決まります。
 
 
【授業者が決まるまで】
研究する教科とテーマが決まり、提案授業等が行われたのちに、授業者が決められます。
 
しかし、学校にいる先生方は、それぞれ得意な教科はバラバラで、得意な授業の組み立て方もバラバラ。いろんなよさを持っている先生方が集まっています。
 

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そんな中、
「うちの学校は国語の研究をします!対話を多く取り入れた学習について検証します!」
 
というように研究の方向性が決められるわけです。
 
 
おそらく、ほとんどの先生が「その教科の研究苦手だな。」とか「対話を多く取り入れるってやりづらいなぁ。」というように感じると思います。
つまり、テーマが自分の得意教科&得意分野で嬉しい人はごくごく一部の人になるのです。
 

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授業者の中に「テーマにやりづらさを感じている人」が何人も選ばれることは、授業の質のが少なからず低下すると思うんです。ということは、参観者からしたら、「質の低い授業を見る可能性が上がる」ということにつながります。
 
 
もちろん、これはシステムの問題で、決して研究主任の先生が悪いわけではありませんよね。
 
 
 
 
【指導案作成 授業ができるまで】
さて、研究発表会が行われることになったら、たくさんの人が見に来ます。そうなると、計画段階に多くの時間を費やすことになります。
 
具体例を挙げると、
・体裁の整った指導案作成
・普段の授業よりも準備、手立て多めの授業
・念入りな発問計画
・何度も指導案審議を行い、何度も指導案を書き直す
などです。
 
2学期以降の発表会であれば、夏休みに指導案を作成すると思うんですが、夏の仕事の半分ぐらいの労力を費やしてしまうのではないでしょうか?
 
 
 
また、授業を作るときに
「本当は自分の得意なスタイルで組み立てたいけど、研究テーマとずれてしまうから…」
 
とか
 
「指導案審議では、得意分野の違う様々な先生方からのアドバイスをもらう…」
 
ということが行われることで、誰の授業がわからないものになりませんか?
 

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【研究発表会当日まで】
開催する学校が大変なのは、授業だけではありません。
紀要の作成だったり、環境整備だったり、それはそれは大掛かりですよね。授業を参観してもらうだけなのに、それ以外のことでも仕事量が莫大に増えます。
 
 
と、このように大変な苦労の上にできあがった研究発表会。
果たして、研究発表会を見に来た参観者の方は、大きな学びを得ることができるのでしょうか?
 
 
 
【当日の参観者】
「今日の研究発表会は、この先生の授業を見にきた!」という人にとっては、大きな学びを得ることができる研究発表会になると思うんです。
 
でも、多くの参観者はそうじゃないと思います。「年に1回行けと言われているから来た」とか、自分の興味のある教科だから来た」とかそれぐらいの熱量で来ると思うんです。
 
 
そういう参観者の授業の選び方は、
△ 授業者のこと何も知らない状態で授業を選ばなければならない。
△ 参観する授業を選ぶ基準は指導案だが、その場でもらう指導案を授業が始まるまでの短い時間にちゃんと見きれない。
△ その結果、「とりあえず、今の担当学年の授業を見に行く」という選び方になる。
 
このような選び方をする方が多いのではないでしょうか?
 
 
 
 
そして、授業を参観すると、
△ 授業が上手な先生を見たいのに、「とりあえず若手にさせました。」という授業や「テーマに苦手意識をもつ先生が、無理やりテーマに合うような授業作りました」という授業に当たることがある。そうすると、「上手な授業から新たなことを学びたい」ということではなく、「この授業をどう改善したらいいかな?」という視点からの参観になり、目的とは違う見方になってしまう。(そういう授業からの学びももちろんあるとは思うのですが。。。)
△ 「〇〇先生の授業を参観したらよかったのに。面白かったよ!」と後から聞いて後悔する。
△ たまに、「これ校内でちゃんと授業検討したのかなー」という授業に当たることがある。
 
というように、授業者の先生のことを知らないまま参観をして、思うように学べないことがありますよね。
 
つまり、「この先生の授業を見たい!」という選び方ではない授業参観から学ぶことができるかどうかは、ある意味「運」だのみということになります。
 
 
貴重な時間を使って見学に行く研究授業で、学べるかどうかが「運」というのは、効果的ではないですよね?
 
 
 
 
【研究授業後】
研究発表会を開催した後は、「お疲れ様でしたー!」で終わってしまい、授業者が回すPDCAサイクルは1回でおしまい、となることが多いと思います。
 
その学校が2年、3年と同じテーマで実践を続ければ、学校としてはPDCAサイクルを2回3回と回すことができるのかもしれませんが、それでもサイクル回るのが少なすぎますよね。
 
これって実践者側の学び、少なくないですか??
 
 
 
一生懸命、時間をかけて作り上げてきた研究授業。
 
それなのに、「実践者側」も「参観者側」も効果的に学びを得ることができないのであれば、それを続ける意味はあるのでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
私がここ5年間で「この授業見てよかったー!」と思った授業を振り返ると、「この人の授業見たい!」という思いから始まるものばかりでした。
 
 
行かされる研究授業よりも、「この人の授業を見たい!」から始まる授業参観の方が学びが得られると思います。
(この思考は「一般化のワナ」かもしれませんが…笑)
 
 
 
そこで、こんなシステムどうでしょう?
 
【自分の見たい人の授業を自由に見に行けるシステム】
 
①各学校で毎年当たり前のように行われている研究授業や毎年持ち回りで行われている研究発表会などの、「やらされてる感満載の研究」は全て中止にしちゃう
その学校の職員全員が「この研究やりたい!」と心の底から思っているものであればよい)
 
②「いいね」がつけられる簡易的なSNSを普及させ、見たい人の授業を自由に見に行けるようにする。(授業者と参観者が連絡を取り合って、お互いがOKならば授業を見に行けるシステム)
 
③授業を参観したら、その授業者へ「いいね!」を押せる(…内容次第では押せないかもしれない 笑)
 
④いいねが増えたら、「この人の授業は上手なんだ!」というのが一目でわかるようになり、他の先生もその人の授業を見に行きたくなる。
 
⑤公開した授業数やいいねの数が、ボーナスに+αの形で反映される!授業が上手な人は、お小遣いゲット♪
 
 
 
いかがでしょう?
(「いいね!」が付けられるSNSを普及させるというのは、ちょっと自分でも「微妙・・・」だと思っていますが。)
 
 
授業を自由に見に行けるようになれば、「この人の授業見たい!」から始まる授業参観が可能になるし、
 
もし、「誰の授業を見たら勉強になるのかがわからない・・・」という人(特に初任者の方や他地区から移動して来られた方など)であれば、「いいね!」の数が多い先生の授業を見に行けば勉強になる可能性が高くなりますよね。
 
 
 
ちなみに、自由に授業を見に行くっていうのは、これぐらいのイメージです↓↓↓
 
「今度授業見に行ってもよろしいですか?」
「いいけど、特別なこと何もしないよ!しかも、体育の後で子ども疲れてるかもしれないけどいい?」
 
このように、本当の普段の授業を見に行くようなイメージです。(もちろん放課後に授業の意図とか聞いたりする時間が取れるのが望ましいですよね)
 
 

 

 

【まとめ】

みんなが同じテーマで研究を行う、今の研究授業・研究発表会のシステムって本当に苦しいと思うんですよね。その割には得られる学びが多くないというか。。。

 

 

 

〇 普段の授業を、自由に見に行ける。

 

〇 「この先生の授業を見たい!」から始まる授業参観ができる。

 

そんな研修のあり方に変わっていってほしいなと感じる今日この頃です。

 

 

長文、最後まで読んでいただいてありがとうございました。